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'''定光院'''('''じょうこういん'''、? - [[延宝]]2年([[1674年]]))は[[江戸幕府]]3代将軍[[徳川家光]]の[[側室]]。父は京都の官人で、青木直辰。名はおりさ。お里佐、お佐野とも。
 
[[元和 (日本)|元和]]9年([[1623年]])に家光の正室[[鷹司孝子]]の侍女として[[大奥]]に勤め始める。その後、家光に見初められて[[正保]]4年([[1647年]])に家光の五男鶴松を産むが、翌年に逝去。家光が亡くなった後は落飾して定光院と号すが、鶴松と家光供養のために、[[春日局]]の姪である[[済松寺]]の[[祖心尼]]の弟子に入って長心尼になったという説もある。
 
延宝2年(1674年)に没し、済松寺に葬られる。