「松平康重」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
細部
Yonoemon (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
3行目:
通称は次郎。名は康重のほかに康次。父と共に[[徳川家康]]に仕える。[[三河松井氏]]の一族であるが、父の代からすでに松平姓を賜っていたため、康重も松平姓を名乗った。康重の「康」は家康から一字を賜ったものである。家康が東海にいた頃には[[駿河国]][[沼津城]]の守備役を務めた。
 
[[小田原征伐]]後に家康が関東に移されると、武蔵国騎西藩に2万石を与えられた。[[慶長]]6年([[1601年]])に、常陸国笠間藩3万石に加増。さらに慶長13年([[1608年]])には丹波国篠山藩5万石に加増移封。[[元和 (日本)|元和]]5年([[1619年]])には和泉岸和田藩に移封となった。寛永17年(1640年)6月27日、73歳で死去し、後を次男の[[松平康映]]が継いだ。
 
墓所:[[京都]]の[[金戒光明寺]]。法号:竜誉浄和。[[大阪府]][[岸和田市]]南町にも墓がある。