「西光万吉」の版間の差分

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*絵画の才覚に優れており、[[1913年]]([[大正2年]])に[[国民美術展覧会]]で入賞したほか、[[1914年]]([[大正3年]])には[[二科展]]における入選も受けている。
*人権標語などにおいてよく用いられる有名なフレーズ'''人間に光あれ'''(水平社宣言の締めの一文)が多くの場合において『にんげんに~』と読まれていることについて、これを苦く思っていた彼は、『あれは'''じんかん'''と読むのである』と、その理念とともにたびたび説明していたという。
*[[住井すゑ]]著「[[橋のない川]]」に登場する小森村安養寺の息子、出自を秘匿した上で進学し画家を目指すが激しい差別を前にして挫折、そ水平社の設立に奔走する眉目秀麗な男子、村上秀昭('''秀坊ん''')のモデル(ただし作中の彼は天皇制に反対である)
 
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