「春風亭柳枝 (8代目)」の版間の差分

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8代目'''春風亭 柳枝'''(しゅんぷうてい りゅうし、[[1905年]][[12月15日]] - [[1959年]][[10月8日]])は、戦後活躍した[[東京]]の[[落語家]]。本名は島田勝巳
 
[[音曲]]師[[柳家枝太郎]]の子。温厚篤実な性格で、何を言われても「結構です。」と言うので「お結構の勝っちゃん」と呼ばれた。客に対しても丁寧な物腰で語る芸風に人気があった。ただ、酒癖が悪く酔うと人格が変わって荒れるのが欠点だったと言う。
 
== 略歴 ==
* [[1921年]] - [[春風亭柳枝 (4代目)|4代目柳枝]](当時は華柳)に入門、'''枝女太'''(しめ太)と名乗る。
* [[1922年]] - 同名で二つ目昇進。
* [[1923年]] - 睦ノ太郎と改名。
* [[1925年]] - [[春風亭柏枝]]として真打昇進。
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* [[1943年]] - 8代目[[春風亭柳枝]]を襲名。
* [[1959年]] - [[9月23日]]、ラジオ公開録音で「お血脈」を口演中に脳出血で倒れ、[[10月8日]]死去。奇しくも師匠4代目柳枝も[[日本放送協会|NHK]]のラジオ口演中に脳卒中で倒れていた。
 
当時の人気若手5人で「五大力」という会を結成。
 
== 得意ネタ ==