「柳家つばめ (2代目)」の版間の差分

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実家は芝金杉町の米屋。20歳のころに天狗連(アマチュア落語家のサークル)に出入りしていたことから、知り合いの落語家麗々亭柳左衛門の紹介で、4代目麗々亭柳橋門人となり麗々亭柳輔と名乗る。だが、入門して間もなく師匠が没し一年後に3代目柳家小さん門下に入る。
 
柳家小きんを経て1905([[1905年]](明治38)年338)3月に4代目柳家小三治を襲名。実力が見とめられ師小さんの娘を嫁に貰い、落語研究会に加入するなどする。1911([[1911年]](明治44)年444)4月神田立花亭において小三治のまま真打。1913([[1913年]](大正2)年42)4月には2代目柳家つばめを襲名。このあたりが最も羽振りがよかった。
 
震災後睦会に加入するが、だんだん芸の力も落ち始め、晩年は不遇であった。