「ニケフォロス3世ボタネイアテス」の版間の差分

『宋史』
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(『宋史』)
 
ニケフォロス3世には男児が無く、マリアとの間にも子供に恵まれなかったため、ミカエル7世とマリアとの間に生まれていた息子コンスタンティノスを後継者に指名した。しかし、それに不満を抱いた貴族の反乱や[[セルジューク朝]]の侵攻などの対策に追われ、内政を顧みる余裕が無く、先代からの帝国の混乱は続いた。1081年、アレクシオス・コムネノス(のちの[[アレクシオス1世コムネノス]])が反乱を起こして首都へ進軍してくると、ニケフォロス3世は退位を余儀なくされ、[[修道院]]へ隠退した。
 
補足 中国の正史『宋史』巻490によると、北宋の元豊4年(1081)、「[[拂菻]]」国の王「滅力伊霊改撒」の使者が中国を訪れて貢ぎ物を献上した。これをニケフォロス3世ボタネイアテス、ないし先帝のミカエル7世ドゥーカスの遣使と見なす説がある。
 
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