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[[Image:Map Gallia Tribes Towns.png|thumb|紀元前58年の属州ガリア・アクィターニア]]
 
'''ガリア・アクィターニア'''('''Gallia Aquitania''')とは[[ローマ帝国]]の[[属州]]のひとつ。かつての[[アクィタニア]]地方であり、現在の[[フランス]]北西部[[アキテーヌ地方]]に該当する。東方に[[ガリア・ルグドゥネンシス]]、南方に[[ガリア・ナルボネンシス]]、西方に[[ヒスパニア・ラコネンシス]]と接している。
 
もともとは[[ケルト人]](とくに[[ガリア人]])が住み、南方のローマとは違う文化圏であった。そこに[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が侵攻、ローマの属州とする([[ガリア戦争]])。[[アウグストゥス]]の治世に[[皇帝属州]]となる。皇帝の命を受けた[[プロプラエトル]]は軍隊を従えず、任地に赴いた。
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====西ローマ帝国滅亡後====
 
そして[[西ローマ帝国]]滅亡後に西ゴート族は彼等はトロサ(現在の[[トゥールーズ]]を拠点とし、ピレネー山脈を越えて[[ヒスパニア]]に侵攻する。しかし[[507年]]には[[フランク族]]に押される。[[629年]]、[[メロヴィング朝]]の[[クロタール2世]]が死去すると[[フランク王国]]を息子で分割。[[西フランク王国]]の基礎となる。
 
{{ローマ帝国の属州}}