「ガイウス・グラックス」の版間の差分

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====護民官に当選====
 
ガイウスは[[トリブヌス・ミリトゥム]]として[[ヌミディア]]に赴任したのが公的生活の始まりである。その後ローマに戻り、[[紀元前126年]]に[[クァエストル]]職に当選、つつがない数年を過ごす。そ[[紀元前126123年]][[護民官]]に当選し、当然の事だが、保守派は再び弟ガイウス兄ティベリウスのような行動をとるのかと警戒した。しかしガイウスは兄の遺志は継いだが、同時の兄が犯した誤りを再び踏まないよう学んでいた。
 
構想としてガイウスは形骸化してしまったセンプロニウス農地法だけでなく、穀物の価格を統制する法案、市民の軍役年数に制限を加える法案も成立させようとしていた。また司法に関しても元老院の不正、横領を告発でき、また元老院議員たちが仲間内でかばいあう事を防ぐ法案も考えていた。彼の法案では身分の低い[[エクィテス]]の者でも法規の草案に携わる事ができるとした。彼はまたローマ市民権を他のイタリア内の同盟都市にも広げようとしていた。このすべてが元老院を反発させた。