「性善説と性悪説」の版間の差分

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どちらも、[[孔子]]の思想を根底に持った、[[儒教]]における観念である。つまり、共通して持つものは「理想の社会を建てる」というもので、性善説、性悪説はその前の段階の考え方の違いである。
 
==人間賛美としての性善説?==
基本的に、どちらも人間が持つ「善」という[[徳]]に関して述べており、善に向う・もしくは善に導くための方法や動向に付いて論じている。性善説と性悪説のいずれにしても、根底には人間は善を尊び、それに導かれるという人間賛美の姿勢が伺えるため、性善説のみが人間に対して肯定的として、人を冷笑的もしくは厭世的に否定する意図で性悪説を引用するのは、些か的外れに思われる。
 
==人類の可能性に対する信念==
荀子の思想がその他の儒家と大いに異なる点として、「歴史感覚」が挙げられるだろう。
孔子や孟子が、「人間は数千年前から今と同様の生活をしていた」と認識していた(歴史教育や考古学というものが、観念・概念からして存在しない、当時の社会の通念としては当然のこと)のに対し、荀子は「人間の社会は発達をしてきたし、これからも発達していくだろう」という認識を持っていた。
そして「欲こそが発達の根源である」とし、「欲を制御することが、破綻せず発達しつづける為には必要」としている。
 
==性善説と性悪説の基にあるもの==