「第一次ミトリダテス戦争」の版間の差分

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[[紀元前87年|前87年]]に、ミトリダテスは[[アルケラオス (軍人)|アルケラオス]]に一軍を与えてギリシャに送った。これに呼応して、[[アテナイ]]、ラケダイモン([[スパルタ]])、さらに[[ボイオティア]]の大半がミトリダテスの味方についた。さらにメトロファネスに率いられたポントゥス軍の別働隊が、[[エウボイア]]を攻略した。マケドニアはローマ側につき、ブルッティウス指揮下の軍を南下させた。ブルッティウスはメトロファネスの脅威を退け、ボイオティアのカイロネイアでアルケラオス軍と対陣した。ブルッティウスは兵力の劣勢を悟って退いた。
 
ここでローマ軍がギリシャに上陸した。ローマ軍を率いたのは、アシア総督に任命された[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]であた。スッラは五個軍団と若干の大隊をもってギリシャに渡った。スッラの出現で[[テーバイ|テバイ]]などボイオティアの大半はローマに寝返った。アルケラオスはアテナイの外港[[ピラエウス]]に立て篭った。[[ピラエウスの戦い]]では、双方の技術と武勇を駆使した激しい攻防が展開された。ローマ軍がピラエウスの城壁を突破すると、アルケラオスは内城に引き下がり、次いで海から撤退した。
 
これより前、スッラとの対戦中に、ミトリダテスの子アルカティアスがマケドニアに侵攻して全土を制圧していた。アルカティアスはそこから南下する途中で病死した。アルケラオスはボイオティアに回りこんでこの軍をあわせ、ローマ軍を上回る兵力を得た。しかし[[紀元前86年|前86年]]に、スッラは山間の[[カイロネイアの戦い]]で身動きのとれない大軍を撃滅した。アルケラオスは敗兵をまとめていったんエウボイアのカルキスに退いた。すぐにギリシャ本土に再上陸したが、[[紀元前85年|前85年]]に[[オルコメノスの戦い]]で再び敗れてカルキスに戻った。