「ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)」の版間の差分

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政権を掌握したウォリック伯は、年少の娘[[アン・ネヴィル]]をヘンリー6世の世嗣[[エドワード・オブ・ウェストミンスター|エドワード]]に嫁がせてネヴィル家の安泰を図った。1471年、王座の道を絶たれたジョージは弟[[リチャード3世 (イングランド王)|グロスター公リチャード]]の説得を受け入れ、3兄弟結束してウォリック伯を破って敗死させ、ヘンリー6世とエドワード王太子を殺害した。
 
[[1472年]]、王太子未亡人アン・ネヴィルが弟リチャードと結婚すると、ウォリック伯領の相続をめぐって対立するようになる。妻イザベルが[[1476年]]に死んだことも災いしてウォリック伯領の相続争いにれ、結局ジョージはエドワード4世への反逆を疑われ、[[ロンドン塔]]に送られて[[処刑]]された。
 
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