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'''内藤 信武'''('''ないとう のぶたけ'''、生年不明 - [[元和 (日本)|元和]]5年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]([[1619年]][[5月10日]]))は、[[近江摂津|近江]][[長浜高槻藩]]主[[摂津国|摂津内藤信正]]の子。[[高槻藩]]主、[[山城陸奥|山城]][[伏見棚倉藩]]主となった[[内藤信]]の次男。従五位下、丹後守
 
{{武士/開始|内藤信武}}
庶子として生まれたが、兄・[[内藤信照]]が病弱であったため、父の嗣子となる。しかし元和5年(1619年)に夭折、再び信照が嗣子となって家督を継承した。娘は信照の養女となり、後[[堀利長]]の室となっている。
{{武士/時代|[[江戸時代]]前期}}
{{武士/生誕|不明}}
{{武士/死没|[[元和 (日本)|元和]]5年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]([[1619年]][[5月10日]])}}
{{武士/官位|従五位下[[丹後国|丹後]]守}}
{{武士/氏族|[[内藤氏]]}}
{{武士/父母|父:[[内藤信正]]<br />母:不明}}
{{武士/兄弟|[[内藤信照|信照]]、'''信武'''、[[内藤信之 (伊豆守)|信之]]、[[内藤信直|信直]]、ほか}}
{{武士/妻|不明}}
{{武士/子|[[堀利長]]の室}}
{{武士/終了}}
 
庶子として生まれたが、兄・[[内藤信照]]が病弱であったため、父・信正の嗣子となる。しかし元和5年(1619年)に夭折、再び信照が嗣子となって家督を継承した。娘は信照の養女となり、後[[堀利長]]の室となっている。
 
法名は「性空」と伝えられている。葬地は不明である。