「アレクセイ・スタンチンスキー」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[地主]]階級に生まれ、専門的に学び始める前から、地元の民俗音楽を蒐集したことがある。[[モスクワ音楽院]]に学び、ニコライ・ジラシリャイェフと[[セルゲイ・タネーエフ]]に師事。作曲科で最も将来を嘱望される学生であったが、父親の急死を機に[[精神病]]を患い、たびたび精神病院に入院した。意識の清澄なときは、ごく普通に作曲活動に取り組んでいたが、ひとたび[[妄想]]に襲われると、宗教熱が高まり、作品を破り捨てるなどを繰り返した。最終的には医者に見放されている。[[1914年]]の秋に、転地療養を兼ねて[[クリミア]]地方の友人の別荘を訪問中に[[失踪]]し、謎の[[溺死]]を遂げた。[[検視]]の結果、[[自殺]]説と[[事故死]]説の二つの可能性が示唆されたが、確証のないまま前者の可能性が高いといわれてきた。
 
スタンチンスキーの現存する作品は、ほとんどが[[ピアノ]]曲である。[[ソナタ]]や[[フーガ]]のような大形式の作品も見られるが、ほとんどは[[前奏曲]]や「スケッチ」などの小品集である。[[スクリャービン]]の影響のもとに、濃密な[[半音階]]や繊細なリズム語法を用いたが、次第に[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]や[[民族音楽]]に影響されて[[旋法|旋法性]]や[[変拍子]]を多用し始め、恩師タネーエフ流儀の[[対位法]]的書法にも傾倒し、とりわけ[[カノン (音楽)|カノン]]を好むようになった。スタンチンスキー作品では、これらが複雑に絡み合っているが、ムソルグスキーの影響が強まってからは、[[旋律]]においても[[和声]]においても、[[全音階]]的な傾向が明らかとなっている。