「マツミドリ」の版間の差分
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|金 = 83万2040円
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'''マツミドリ'''
農林省賞典(現・[[皐月賞]])2着を経て出走した東京優駿競走では農林省賞典優勝馬[[トキツカゼ]]に雪辱を果たし優勝した。1945-46年は日本ダービーに当たる競走が中止されており、この年は戦後初の開催であった。また、父・カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。ただ、東京優駿競走後は農林省賞典や[[京都記念]]に優勝しているものの、マツミドリの東京優駿競走優勝を受けて創設された父を記念する[[競走]]である[[カブトヤマ記念]]は6着に敗れている。引退後は[[種牡馬]]となったが、[[1953年]]に北海道で流行した[[馬伝染性貧血]]に罹患し、惜しまれつつ殺処分となる。供用期間が短かったため代表産駒はダイゴ程度。
{{競走馬血統表
|mmmm = * Florrie's Cup [[ファミリーナンバー|F-No.3-l]]
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[[Category:1944年生 (競走馬)|まつみとり]]
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