「無伴奏ヴァイオリンソナタ (バルトーク)」の版間の差分

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アメリカ移住後のバルトークの作品について、「それまでよりも大衆受けする方向へ変化した」と言う評がよく見られるが、この作品はそれとは対照的に非常に緊張感の高い曲である。
 
また後述する第1楽章に[[発想記号]]がなく「[[無伴奏ヴァイオリン楽譜上ためのソナタとパルティータ#パルティータ第2番ニ短調 BWV1004|(バッハの)シャコンヌ]]のテンポで」と言う異例の指示以外なっていたり、楽章の配置や構成などがJ.S.バッハの[[無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ#ソナタ第1番ト短調 BWV1001|無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番]]によく似ている(調も同じである)ことから、この曲はバッハへのオマージュ的な要素感じさせる。そのためバッハのソナタとパルティータ全6曲を「[[旧約聖書]]」、バルトークのこの作品を「[[新約聖書]]」と呼ぶ向きもある。
 
なおバルトークはヨーロッパ時代に「若い頃の私にはバッハとモーツァルトは美の理想ではなく、むしろベートーヴェンがそうだった」と回想している。そのバルトークがいかなる理由でこの曲で何故はっきりとバッハに倣ったスタイルへのオマージュ感じさせる作品して仕上げたのかは分かっていない。
 
ピアニストであったバルトークだが、民謡採集活動の中でハンガリー農民やジプシーのヴァイオリン技法に触れ、更に[[ヨゼフ・シゲティ]]ら多くのヴァイオリンニストの知己がいたことからヴァイオリンの演奏テクニックにはかなり詳しかった。そのためこの曲も様々な技巧が盛り込まれており、かなりの難曲として知られている(メニューイン自身「初めて楽譜を見せてもらった時は冷や汗が流れた」と回想している)が、現在のバージョンでも、第4楽章などには初稿ではあまりにも難かしい部分について、メニューインのリクエストでバルトークが書き換えた部分も少なくない。なお出版譜では、その書き換えられた部分については、バルトークが初稿で書いていたバージョンの楽譜も添えられている。