「上杉清子」の版間の差分

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'''上杉 清子'''('''うえすぎ きよこ'''、生年不詳 - [[興国]]3年・[[康永]]元年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]([[1343年]][[1月20日]])))は、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]初期の女性。[[本姓]]は[[藤原氏]]。[[家系]]は[[坊城家]]の分家 [[勧修寺家]]の傍流 [[上杉氏]]。[[上杉頼重]]の女。[[足利貞氏]]室。[[足利尊氏]]、[[足利直義|直義]]兄弟の母。[[京]]の[[本圀寺]]や[[越後国]]三条[[本成寺]]([[新潟県]][[三条市]])の[[日静]](「[[鎌倉殿中問答]]」勝者の名僧[[日印]]の弟子)の姉である。
 
[[嘉元]]3年([[1305年]])に尊氏を生む。この際、[[紀伊国]][[粉河寺]]の観音に祈ったことから、後年[[建武 (日本)|建武]]3年([[1336年]])に粉河寺に[[戸帳]]を寄付し、さらに翌年には領地を寄進している。