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[[長州藩]]の仕業とされたが、この夜の刺客は試衛館派の土方歳三、[[山南敬助]]、[[沖田総司]]、[[原田左之助]]という説が有力である。
 
幹部の芹沢と平山の死体は壬生浪士組が引き取ったが、お梅は引き取り手がない。芹沢の思い人なのだからいっしょに葬ってはどうかという意見もあったが、近藤が局長の芹沢とお梅のような'''売女'''を合葬することはできないと強硬に反対した。
 
夏場のことゆえ死体を長く放置もできず、お梅の旦那の菱屋と交渉したが、「暇を出した」と相手にされない。困り果てた八木家が手を尽くして西陣のお梅の里へ引き取らせたとも、無縁仏として葬ったという。
 
9月20日に芹沢と平山の葬儀が神式で盛大に執り行われ、近藤が丁重な弔辞を読んだ。
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