「上宮聖徳法王帝説」の版間の差分

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*第五部---[[欽明天皇]]から[[推古天皇]]の治世年数とそれぞれの崩御年そして陵の所在地を書いている。ここでは、欽明天皇の治世年数から逆算した即位年が日本書紀の記述と相違し、学者の論争の的となっている。
 
*:<sup>逆算による欽明天皇の即位年は[[531年]]で日本書紀では[[継体天皇]]二十五年にあたる、[[安閑天皇|安閑]]・[[宣化天皇|宣化]]両天皇のあとの[[539年]]に即位したとする書紀とはつじつまが合わない。[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]のように安閑・宣化朝と欽明朝が並立し内乱状態にあったという説や、単に暦法上の問題とする説など論争を生んでいる。</sub>
 
==出典==
*家永三郎著「日本思想体系・二巻『聖徳太子集』」岩波書店刊