「CAラヌース」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
12行目:
監督=ラモン・カブレーロ|
HP=http://www.clublanus.com/|
}}
[[アルゼンチンプロサッカーリーグ]]の1部に所属している。[[バスケットボール]]にも強い。
== クラブの歴史 ==
*1915年:クラブ創立
*1931年:[[アルゼンチンプロサッカーリーグ]]1部に参加
*1949年:物議を醸した[[ウラカン]]との壮烈な残留対決の末、クラブ史上初の2部リーグ落ちを喫する。
*1956年:初の1部リーグ準優勝
*1978年:約200万ドルの借金を抱え、最大の経営危機に陥るが、[[ソシオ]]の援助で借金を返済し、2部リーグに返り咲く。ソシオの数はわずか2000人だった。
*1981年:ソシオの数が1万人を超える
*1990年:12年ぶりに1部リーグに復帰
*1995年:国際カップ戦に始めて参加
*1996年:'''コパ・コンメボル'''([[南米サッカー連盟]]杯)優勝。クラブ史上初の国際カップタイトルを勝ち取る。
*1996年:コパ・コンメボル準優勝
*1998年:2度目の1部リーグ準優勝
*2006年:[[クラウスーラ]]で3度目の1部リーグ準優勝を果たす。
== 1949年の屈辱的な2部リーグ降格 ==▼
▲*2006年:10月、9年ぶりに参加したカップ戦、[[コパ・スダメリカーナ]]で[[ブラジル]]の名門、[[コリンチャンス]]を破り、ベスト8に勝ち進んだ。
[[1949年]]
▲== 1949年の屈辱的な2部リーグ降格 ==
▲[[1949]]年の最終節、ラヌースは当時の有力チームで現在2部リーグに所属するウラカンと同じ勝ち点で並んでいた。[[ボカ・ジュニアーズ]]に敗戦したため
最初の対戦([[イダ]])はウラカンが1対0で勝利、しかし[[ブエルタ]]ではラヌースが4対1で勝利を収める。
残留争いはふりだしに戻り、両チームの決戦は3度目を迎えることになった。
3度目の決戦、試合は3対3まで進んでいた。しかしラヌースにPKが与えられ、ついにウラカンの降格が目前かと思われたその時、ウラカンの選手たちはPKに抗議してピッチを去ってしまった。世界中どこのリーグだろうと、試合を放棄した方のクラブを降格させるはずである。しかし[[アルゼンチンサッカー協会]](AFA)は、強引に4回目の対戦までこの残留争いをもつれさせる。
この最終戦ではウラカンが3対2で勝っていたが、審判がウラカンにPKを与えると、ラヌースの選手たちもウラカンがしたのと同じ抗議の態度を取り退場した。
誰もが5回戦が行われるものと思ったが、AFAの下した決定は、ラヌースの降格であった。
この顛末は、当時のウラカン会長、トーマス・アドルフォ・ドゥコと[[フアン・ペロン]]大統領が個人的に親しかったせいだと指摘する者もいるが真相はわからない。
== 主な所属選手 ==
*[[アグスティン・ペジェティエリ]] Agustín Pelletieri 1982年5月17日生まれ センター・ミッドフィールダー
*[[ロドリゴ・アルチュビ]] Rodrigo Archubi 1985年6月6日生まれ センター・[[ミッドフィールダー]]
*[[セバスチャン・レト]] Sebastián Leto 1986年8月30日生まれ ミッド・フィールダー(左) 2007年7月より[[リヴァプールFC]]へ移籍予定▼
▲ミッド・フィールダー(左) 2007年7月より[[リヴァプールFC]]へ移籍予定
*[[クリスチャン・ファビアーニ]] Cristian Fabbiani 1983年9月3日生まれ [[フォワード]]
*[[ラウターロ・アコスタ]] Lautaro Acosta 1988年3月14日生まれ ミッドフィールダー、フォワード
{{Template:アルゼンチンプロサッカーリーグ プリメーラ・ディビシオン}}▼
[[Category:アルゼンチンのサッカークラブ|らぬーす]]▼
[[es:Club Atlético Lanús]]
95 ⟶ 64行目:
[[pl:Lanús Buenos Aires]]
[[pt:Club Atlético Lanús]]
|