「花鳥諷詠」の版間の差分

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大野林火
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「花鳥諷詠」は高浜虚子の造語で、[[1927年]]に提唱された。「花鳥」は[[花鳥風月]]のこと。「諷詠」は調子を整えて詠う意味。
 
花鳥風月といえば、通常は自然諷詠の意味になるが、虚子によれば「[[春夏秋冬]]四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂(いい)であります」(『虚子句集』)と人事も含めている。この「花鳥諷詠」は「[[ホトトギス]]」(俳誌)の理念であるが、それまで主張していた「[[客観写生]]」との関係は必ずしも明らかではない。[[正岡子規]]から虚子に引き継がれた写生あるいは「客観写生」を肯定する俳人も「花鳥諷詠」には批判的な立場を取るものが多い。つまり「花鳥諷詠」は「ホトトギス」派と、その一統の日本伝統俳句協会にしか通用しない理念である
 
[[正岡子規]]から虚子に引き継がれた[[写生]]あるいは「[[客観写生]]」を肯定する俳人も「花鳥諷詠」には批判的な立場を取るものが多い。
虚子自身「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」の句を残しているように、花鳥諷詠は「お題目」と考えればわかりやすい。
 
「秋風や花鳥諷詠人老いず」([[久保田万太郎]])「朴落葉大地に花鳥諷詠詩」([[稲畑汀子]])は花鳥諷詠讃歌。「はぐれたる花鳥諷詠のほとゝぎす」([[加藤郁乎]])、「誰が為に花鳥諷詠時鳥」([[京極杞陽]])は批判とも考えられる。
つまり「花鳥諷詠」は「ホトトギス」派と、その一統の日本伝統俳句協会にしか通用しない理念である。
 
虚子自身「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀」(1954年)の句を残しているように、花鳥諷詠は「お題目」と考えればわかりやすい。
[[大野林火]]は「虚子の自然(花鳥)傾倒は虚子の悟道でもあった。」(『現代俳句大辞典』明治書院)という。
 
「秋風や花鳥諷詠人老いず」([[久保田万太郎]])、「朴落葉大地に花鳥諷詠詩」([[稲畑汀子]])は花鳥諷詠の讃歌。
「秋風や花鳥諷詠人老いず」([[久保田万太郎]])「朴落葉大地に花鳥諷詠詩」([[稲畑汀子]])は花鳥諷詠讃歌。「はぐれたる花鳥諷詠のほとゝぎす」([[加藤郁乎]])、「誰が為に花鳥諷詠時鳥」([[京極杞陽]])は批判とも考えられる。
 
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