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'''マールワ'''
マールワは、[[レグール土|黒色綿花土]]に覆われた肥沃な農業地帯で、[[ミレット]](雑穀)、豆類、[[綿花]]、[[小麦]]などの産地であって、[[ガンジス川]]中上流域と[[アラビア海]]及びデカン高原を結ぶ幹線交通路が走り、特に中世史において重要な役割を果たした。前6~前5世紀の[[十六国並存時代]]には、ウッジャインを根拠地とするアヴァンティ王国がそのうちひとつを構成していた。前270年ごろは[[アショーカ王]]がこの地の太守となっている。紀元前後は、[[サータヴァーハナ朝]]の支配下にあったことが貨幣の出土で知られる。[[グプタ朝]]の[[チャンドラグプタ2世]]のとき、この地がグプタ朝の重要な所領となり、マールワは[[天文学]]、[[占星術]]が発達し、「[[シャクンタラー]]」で知られる詩人[[カーリダーサ]]の出身地としても知られた。[[プラティハーラ朝]]は、この地方から台頭し、[[カナウジ]]に遷都して北インドの大半を征服することとなり、[[ラーシュトラクータ朝]]とこの地を巡って抗争することとなる。プラティハーラが衰退すると、10世紀後半頃から[[パラマーラ朝]]の本拠となるなど[[ラージプート]]諸王朝の重要な所領であった。また13世紀以降は、[[イスラム]]王朝の進出、まず、1234年、[[奴隷王朝]]の[[イルトゥトゥミシュ]]によってウッジャインが攻撃されて古寺が破壊され、続く[[ハルジー朝]]時代に征服された。1401~1531には、ここを中心に独自のムスリム王国が成立した。[[ムガル帝国]]領となった後、18~19世紀には、[[マラーター]]諸族間の抗争の地となった。[[イギリス]]領になると、多数の[[ヒンドゥー教|ヒンドゥー]]藩王国が分立した。
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