「キュナード・ライン」の版間の差分

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1839年、[[サミュエル・キュナード]]、[[ロバート・ネイピア]]、[[ジェームズ・ドナルドソン]]、[[ジョン・バーンズ]]とともに、[[イギリス]]政府の郵便補助航路企業として、「イギリス及び北アメリカ郵便逓送特許汽船会社」(British and North American Royal Mail Stamp Packet Co.)を設立し、翌年に[[リヴァプール]]・[[ハリファックス]]間、リヴァプール・[[ボストン]]間、リヴァプール・[[ケベック]]間に[[ブリタニア号]]以下新造船を相次いで就航させた。以後、同社は、政府の保護とキュナード以下経営首脳陣の辣腕により激烈な業界の競争に耐え、[[コリンズ・ライン]]などの強敵を退けその基礎を固めた。1878年に株式会社組織に改め、「キュナード汽船会社」となり、1880年その株式を公募した。
 
20世紀に入り、同社は[[ポート・ライン]](Port Line)及び[[ブロックルバンク]](Thos.&Jns. Brocklebank)をそれぞれ傘下におさめ、キュナード・グループを形成し、貨物船航路の経営に進出した。さらに1934年、[[ホワイト・スター・ライン]](White Star Line、1870年創業)を合併し、その主要港路[[キュナード・ホワイト・スター・ライン]]に、[[クイーン・メリー号]]、[[クイーン・エリザベス号]]など豪華客船を就航させた。本社をリヴァプールにおいた。
 
1963年当時、保有船舶18隻、374,573総トンだった。グループ全体では70隻、827,896総トンの船舶を抱え、定期船運航に専業していた。しかしその後10年ほどで、運航コストが年々上昇して経営不振に陥り、保有船舶を減らしたり、[[タンカー]]やコンテナー輸送部門に進出して経営多角化を図ったが、赤字を計上し続けた。