「ハルシュタイン原則」の版間の差分

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しかしながら、[[1960年代]]に入り、東ドイツが[[第三世界]]の新しく独立した国々の多くと国交を結んだことや、[[デタント]]の潮流が強まったため、この原則に固執することが西ドイツ外交にとって不利益をもたらすことが多くなった。
 
[[1969年]][[5月30日]]、[[グスタフ・ハイネマン|ハイネマン]][[ドイツの大統領|大統領]]の声明によりハルシュタイン原則は事実上破棄され、同年西ドイツは[[ルーマニア]]と国交を樹立した。この年に首相に就任した[[ィリー・ブラント]]は、同年10月28日に二つのドイツの存在を認める発言を行い、ハルシュタイン原則を完全に否定した。
 
[[Category:外交政策冷戦|はるしゆたいんけんそく]]
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