「三遊亭圓若」の版間の差分

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'''三遊亭 圓若'''('''さんゆうてい えんじゃく''')は、[[上方落語]]の[[名跡]]。2代目が死後、空位となっている。
 
#'''初代 三遊亭圓若'''([[1864年]](逆算) - [[1913年]][[6月3日]]) - 最初は初代松柳亭鶴枝の門で鶴寿、初代三遊亭圓楽(後の3代目[[三遊亭圓生]])の門で茶楽、さらに5代目[[土橋亭里う馬]]の門で里ん蝶とした。[[三遊亭圓生 (4代目)|4代目三遊亭圓楽]]の門で初代圓若とした。圓生の付き添いで京都の寄席に出勤したのが切欠[[上方落語|上方]]移住し[[三友派]]で活躍。[[1898年]]に初代[[笑福亭福松]]の門となり笑福亭圓若としたが福松死後三遊亭圓若に戻した。[[1905年]]にはなぜか7代目[[三笑亭可楽]]を襲名したが馴染めず圓若に戻している。弟子に2代目。[[享年]]49才。
 
#'''2代目 三遊亭圓若''' - 最初は[[新内]]で岡本宮太夫と名乗る、花之助となる。初代圓若の門で若輔となる。初代の死後は桂三輔(後の初代[[桂ざこば]])の門で三路、さらに2代目を襲名。[[音曲]]で[[漫才]]連の音曲の師範という立場だった。弟子には漫才師の[[都家文雄]]、[[隅田川千鳥]]等がいる。