「YF-12 (航空機)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎開発: link修正
m +1 image, move images
1行目:
{{ Infobox 航空機
| 名称=YF-12
| 画像=Image:YF-12A left front view.jpg
| キャプション=飛行試験中のYF-12A
| 用途=対空迎撃
| 分類=[[戦闘機|迎撃戦闘機]]
26行目:
試験結果は非常に印象的だった。YF-12Aは速度と高度のいくつかの新記録を樹立し、ユニークな武器システムによって有望な結果を示した。[[AIM-47 (ミサイル)|AIM-47]]ミサイルの発射は6回の成功を果たし、最後のAIM-47が高度74,400 ft(22,677 m)、マッハ3.2で飛行中のYF-12から地上500 ft(152 m)の標的ドローンQB-47に対して発射された。[[1965年]]にアメリカ空軍は93機のF-12Bを注文したが、これは[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]][[ロバート・マクナマラ]]によって予算をカットされたためにキャンセルされた。キャンセルの理由の1つは、この速度の迎撃戦闘機への投資を正当化するのに十分な高速爆撃機を[[ソビエト連邦]]が所有していなかったという確信であった。開発計画はそこで断念されたが、YF-12はアメリカ空軍と[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の研究機として長年飛び続けた。
 
[[Image:YF-12 on taxiway12A.jpg|thumb|250px|タキシング・ウェイ上飛行試験中のYF-12A]]
YF-12Aは3機製造されたが、このうちのS/N60-6934は、[[1966年]][[8月14日]]に[[エドワーズ空軍基地]]での着陸時の事故による火災で修理可能なレベルを超える損傷を被った。その機体の後半部は回収され、ロッキードの静態テスト機体の前半部と結合されて唯一の'''SR-71C'''が製造された。SR-71Cは必ずしもまっすぐに飛ぶというわけではなく、巡航状態でも若干の舵圧を保つことをパイロットに要求したため、パイロット達に「バスタード(粗悪品)」というあだ名で呼ばれた。その航空機は、現在[[ユタ州]]のヒル空軍基地にある空軍兵器博物館に展示されている。ナセルの下のベントラル・フィンがまだあったため、それは全てのSR-71の中でもユニークである。ナセルの下のベントラル・フィンは、他のどのSR-71にも存在しない、YF-12の血統を示す工芸品のようでもある。YF-12A S/N60-6936は、燃料導管の欠陥に起因する飛行中の火災のため、[[1971年]][[6月24日]]に失われた。2人のパイロットは、[[エドワーズ空軍基地]]のちょうど北に問題なく脱出した。YF-12A S/N60-06935は、YF-12Aの唯一の生き残りである。それは、[[オハイオ州]]デイトン近郊のライト・パターソン空軍基地にある米国立アメリカ空軍博物館に展示されている。
 
32行目:
 
== シリアルナンバー ==
[[Image:YF-12 on taxiway.jpg|thumb|250px|タキシング・ウェイ上のYF-12A]]
* 60-6934 YF-12A
:火災による損傷の後、[[1966年]]にSR-71C(S/N64-17981)に転換される。