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[[1956年]]の[[ハンガリー動乱]]に衝撃を受け、既成の[[スターリニズム]]と決別。
[[1957年]]末 [[黒田寛一]]の[[弁証法研究会]]に参加。さらに[[日本トロツキスト連盟]](トロ連)結成に参加。
1958年 トロ連が発展して結成された[[革命的共産主義者同盟(革共同)]]内部で[[黒田寛一]]らと「革命的マルクス主義グループ(RMG)」を形成し、[[西京司]]らの組織内の[[第四インター]]派と対立した。
 
1959年に黒田による共産党の情報を警視庁に売ろうとしたスパイ事件が発覚。本多は一貫して黒田を弁護し、同年八月の革共同第一回大会で除名された黒田の後を追って革共同を脱党。8月31日、黒田とともに[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]を結成。黒田は議長、本多は書記長に就任する。