「ソ連国家保安委員会」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
17行目:
== 歴史 ==
[[Image:KGB Symbol.png|thumb|120px|KGBの紋章。諜報の象徴として剣が、防諜の象徴として盾があしらわれている]]
 
ロシア革命直後、レーニンの命を受けたフェリックス・ジェルジンスキーが「反革命・テロ取り締まりのための全ロシア非常委員会」(「チェカ」)を創立する。そのため、ソ連崩壊(12月)直前の1991年8月までジェルジンスキーの大きな銅像が正面に建てられていた。
本部はルビヤンカ広場の全ロシア保険会社のビルとなった。部員からは「セントレ」と呼ばれる。
その後MGB、スターリンの最側近ラヴレンティ・ベリヤが指揮する内務人民委員部NKVDを経る。
 
1954年3月13日、内務省に統合されていた国家保安機能が再び独立し、国家保安委員会 (KGB) が設立された。[[1978年]]までは、ソ連閣僚会議附属機関。[[1991年]]、共和国間保安庁(後の[[ロシア連邦保安庁]])、中央情報庁(後の[[ロシア対外情報庁]])、国境警備委員会に分離され消滅した。