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'''種子島 時次'''(たねがしま  ときつぐ、[[弘治 (日本)|弘治]]2年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]([[旧暦1556年]][[10月14日]])-[[永禄]]5年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]([[旧暦1562年]][[10月28日]]))は、[[種子島時尭]]の長男で[[種子島氏]]15代当主。官名「左兵衛尉」。幼名は不詳。
 
種子島時尭は[[島津忠良]]の娘を正室に迎えていたが、生まれたのは女子ばかりで、長らく跡継ぎとなる男子に恵まれなかった。そこで[[禰寝尊重]]の娘を側室に迎えて生まれたのがこの時次である。しかし、当時[[島津氏]]と[[禰寝氏]]は対立しており、時尭のこの行為は島津家には裏切り以外の何物でもなく、正室の怒りを買って離婚している。