「デルタ・ブルース」の版間の差分

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初のレコーディングは1920年代から行われた。この時代ライブではバンド形態でプレイすることもあったものの、レコーディングの場合は一人のミュージシャンが自分でギターなどを演奏しながら歌うことが多かった。
 
(一応、形の上では)[[奴隷]]から解放された[[アフリカ系アメリカ人]]たちが季節労働者としてミシシッピ河口から[[アーカンソー]]、[[ルイジアナ]]、[[テキサス]]、[[テネシー]]にかけて恒常的に移動する慣習があったが、デルタ・ブルースのミュージシャン達もその例に漏れず、南部地域を旅して周った。その結果この音楽はあちこちに広まり、[[スキップ・ジェームス]]、[[エルモア・ジェームス]]など(厳密には)デルタ地域出身でないデルタ・ブルースミュージシャンも生まれるようになる。後期になるとアメリカ中にデルタ・ブルースは広がり、特に多くの[[アフリカ系アメリカ人]]が移住していった[[シカゴ]]、[[デトロイト]]などの北部都市に根付き独自のブルース('''[[シカゴ・ブルース]]''')へと進化してゆく。
 
学者などの間では、初期のデルタ・ブルースと後期の北部都市ブルースおよび西海岸ブルースとの間に音楽的な区別があるか無いかは意見の分かれる所である。確かに、基本的なハーモニー構造([[ブルー・ノート・スケール]]、[[スリー・コード]]など)はデルタ・ブルースもその他のブルースもほぼ同じである。しかし、シンプルな(アコースティック)ギター奏法や、[[リズム]]を強調したデルタ・ブルースに、他ブルースとの明確な差異を認める者も多い。