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文政10年(1827年)10月24日、[[備後国|備後]][[福山藩]]主・[[阿部正寧]]の弟・[[阿部正粹]]の次男として生まれる。[[嘉永]]元年([[1848年]])に先代藩主・正定が若死にしたため、養子となってその後を継いだ。嘉永2年([[1849年]])6月に[[奏者番]]となるが、[[文久の改革]]で[[奏者番]]制度が廃止されたため、[[文久]]3年([[1863年]])4月から江戸、5月には大坂、8月には[[京都守護職]]となった[[松平容保]]の補佐として、それぞれ警備を務めるなど、佐幕派として行動した。しかし同年12月に病に倒れ、翌元治元年(1864年)3月2日に死去した。享年38。墓所:[[東京都]][[台東区]]蔵前の西福寺。
 
次男・正功は幼少だったため、養子の正外が後を継いだ。