「関東郡代」の版間の差分

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本来郡代は[[代官]]と同様に[[勘定奉行]]の支配下にあったが、[[1733年]]([[享保]]18年)八代[[伊奈忠逵|忠逵]]の代には[[勘定吟味役]]を兼任しており、関東郡代は[[老中]]の直属支配下に入ることになる。そのようなこともあり、関東郡代伊奈氏は他の郡代とは別格であった。
 
しかし、十二代[[伊奈忠尊|忠尊]]がお家騒動と讒言によって罷免、改易されてしまうと関東郡代職は廃止され、勘定奉行と、代官による分治となる。その後一時的に復活したり、関八州見廻役という名称に変わるなどして明治を迎えた。実質、関東郡代は伊奈氏だけの役職であったともいえよう。
 
なお、一方伊奈氏は改易後、の功績により同族の伊奈忠盈が伊奈家子忠盈に名跡を継ぐことを許され、武蔵国秩父郡常陸国信太郡において新地1,000石を賜り受け旗本として明治維新を迎えた。
 
== 関東郡代の一覧 ==