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「反スタ主義」の提唱者である黒田寛一は著書『革命的マルクス主義とは何か?』において「一般に革命的政治運動というものは、現象的には(本質的にはではない カッコ原文ママ)極めてヨゴレタものであり誤解にみちたものであって、政治的、あまりにも政治的な“陰謀”をすら活用しないかぎり(この点ではレーニンの右にでることのできる革命家はない カッコ原文ママ)、そもそも政治そのものを止揚しえないのだという、このパラドックスが、ぜひとも自覚されなければならない。だから、赤色帝国主義論者をすら活用して、動揺と混乱の渦巻のなかにある日共指導部を瓦解させる一助たらしめるという“陰謀”をたくらむべきである」として、「共産党を打倒するためには権力をも利用する」ことを主張し、1959年に自ら[[民主青年同盟]]の情報を警視庁に売ろうとしている(未遂)。このような「反スタ主義」は極端な独善主義(「自らの勢力以外は間違っているから反革命」あるいは「自派主導でなければ革命は起きない」とする思想)に行き着き、日本新左翼運動に蔓延した[[内ゲバ]]の根拠の一つとなったと言えよう。
 
ソ連邦崩壊後の「反スターリン主義」の位置付けは、それ以前とはかなり変化している。かつては、革マル派は[[ベトナム戦争]]について「スターリニストに軍服を着た労働者である米兵を殺させる(ゆえにベトナム戦争反対)」という立場であり、中核派は「北部ベトナム[[ホー・チ・ミン]]政府=[[南ベトナム民族解放戦線]]不支持・ベトナム人民連帯」(その立場から[[1975年]]のベトナムの最終的勝利を「[[サイゴン]]失陥」=米帝は誤ってサイゴンを陥落させた=『解放勢力』の勝利そのものは支持しない、としたの意)と表現したように、「反スターリン主義派」はアメリカ(帝国主義)と戦う勢力ならば無条件で支持する、というような立場からはほど遠かった。しかし、90年代に入って、「先進国労働者革命主義」の立場から[[第三世界]]での革命や反植民地運動にまったく無関心だった革マル派は、1995年の[[フランスの核実験]]の際に[[ポリネシア]]にメンバーを派遣して、「核実験反対」とともに「ポリネシア独立支持」のスローガンを掲げた。また、革マル派・中核派ともに、9.11[[同時多発テロ]]を全面的に支持して、かつて「CIAに支援された反共ゲリラ」と規定して否定的だった[[アルカーイダ]]などの[[イスラム原理主義]]勢力を、現在は「反米勢力」と認知して連帯を表明している。
 
あるいは現在、両派ともに[[北朝鮮]]に対して「排外主義扇動反対」という主張から「スターリニスト体制批判」をほとんど控えて、「米日帝国主義批判」を優先させている。とりわけ中核派は、2007年3月3日に行われた[[在日本朝鮮人総聯合会]](朝鮮総連)が主催した「日本当局の朝鮮総聯と在日同胞に対する不当な政治弾圧と人権侵害に反対する在日朝鮮人大行進」に、「[[全学連]]」などの旗を掲げて沿道から声援を送った。「反スターリン主義派」にとって「スターリニスト組織・[[朝鮮労働党]]の出先機関」である朝鮮総聯が主催し、「スターリニスト独裁者」である[[金日成]]・[[金正日|正日]]親子の肖像を壇上に掲げるような集会とデモ行進に「連帯」の意を表明するなどということは、ソ連邦崩壊以前にはありえなかったことではある。これらの変化は「ソ連スターリン主義体制」という敵対する一方の極が崩壊したことによって、両派ともに「反米主義」の傾向をより強めた、という見方も成り立つだろう。しかし、日本共産党に対する敵対的姿勢は基本的には変化はなく、両派ともに「日共スターリニスト打倒・解体」の路線を堅持しているが、90年代後半あたりから日本共産党系の大衆団体と集会で同席することが、革マル派・中核派ともに増えている。もっとも、その際に、両派ともに集会場で日本共産党(とその指導部)を批判するビラを集会でまくこともある。
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