「軽騎兵」の版間の差分

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==歴史==
軽騎兵は古くから用いられており、[[ギリシャ神話]]に登場する[[ケンタウロス]]は馬を操り襲撃を行う[[中央アジア]]の遊牧民を[[モチーフ]]としている。都市文明地帯では馬に曳かれた[[戦車 (戦闘馬車)チャリオット|戦車]]が東西を問わず[[青銅器時代]]から[[鉄器時代]]に用いられ、歩兵に対して多大な成果を挙げたが、自在な運動性に乏しく、数をそろえるのに多大な経済力を要することもあって、軽騎兵を主力とした非都市文明域の遊牧民の襲撃にはあまり有効な抵抗はできなかった。その後の戦車の廃止と騎兵の採用に不満を持つものは多く、東西を問わず蛮族と同じように馬に乗ることへの反発は大きかった。[[アレクサンドロス3世]](大王)は軽騎兵を効果的に用いることで知られており、直属の[[重騎兵]](ヘタイロイ)と共に投入してたびたび戦況を逆転させている。[[ローマ帝国]]もガリア人やゲルマン人などの傭兵からなる軽騎兵を効果的に用い、偵察や敵部隊の追撃などに使ったが、戦場の主力は[[歩兵]]であり、あくまでも補助が目的であった。
 
ヨーロッパではローマ帝国が解体するにつれ、軍隊の規模は縮小し、騎兵を配下に持つことの重要性が増加した。騎兵の襲撃に有効に対抗できるだけの規律の取れた歩兵の大部隊を維持することが非現実的と成り、規律もなく武器も貧弱な寄せ集めの歩兵に対しては、重騎兵の突撃や、部隊の弱点に器用に回りこんで投槍や弓矢で攻撃を仕掛ける軽騎兵の攻撃は大きな破壊力を持ったためである。維持に多額の金がかかる騎兵は、[[領主]]や大地主が騎兵指揮官となることが多かった。中世ヨーロッパでは重騎兵が兵科の花形となり、軽騎兵の地位は低下した。