「リンカーン (競走馬)」の版間の差分

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当初、[[森秀行]]厩舎に所属し[[2002年]]のデビュー戦となった新馬戦で2着。続く翌月の未勝利戦も2着であったが、音無秀孝厩舎に転厩して3戦目の未勝利戦で勝利を挙げると[[2003年]]になっても若駒ステークス、すみれステークスまで3連勝。その後、[[皐月賞]]を予定通り回避し、[[青葉賞]]に出走予定だったが、喉頭蓋エントラップメントなる喉の[[疾患]]を発症し手術を余儀なくされ同レースを回避。そのため、奇しくも伯父フサイチコンコルドと同じローテーションで、すみれステークスからぶっつけで[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]に出走することとなり、8着に敗れる。秋は[[神戸新聞杯]]で[[ゼンノロブロイ]]の4着、[[菊花賞]]では[[ザッツザプレンティ]]の2着、[[有馬記念]]では[[シンボリクリスエス]]の2着と善戦するも勝ちきれない成績が続く。
 
翌[[2004年]]の阪神大賞典では、前年の菊花賞優勝馬[[ザッツザプレンティ]]を負かし約1年ぶりの勝利を挙げる。そして[[天皇賞|天皇賞(春)]]では1番人気に支持されるが、体調不良もあって13着と大敗を喫する。[[宝塚記念]]では3着と巻き返すが、天皇賞(秋)では12着とまたしても凡走してしまう。
 
[[2005年]]も春シーズンは[[グレード制|GI]]ではもう一息の成績。秋の京都大賞典で2004年の阪神大賞典以来の勝利を挙げるが、その後のGI3戦では有馬記念の3着が最高着順であった。