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[[沖縄県]][[那覇市]]出身。市議、県議を経て、沖縄社会大衆党委員長となる。[[1992年]]の[[第16回参議院議員通常選挙|第16回参院選]]では党公認で[[革新統一|革新共闘]]の統一候補として沖縄県選挙区に立候補し、[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO法]]反対などを訴え、341票の僅差で[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[大城真順]]を破り初当選。1人区では唯一の野党が獲得した議席となった。また、党公認としては、20年ぶりの国政での議席となった。
 
国会では[[第二院クラブ]]と統一[[院内会派|会派]]「二院クラブ・革新共闘」を組み、[[1995年]] - [[1998年]]は二院クラブ代表を兼務した。[[1997年]]、政府は沖縄の[[在日米軍|米軍用地]][[特別措置法]]([[米軍用地特別措置法|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法]])改定案を出した。米軍基地の地主が、契約期限切れ後の更新を拒否した場合でも、[[収用委員会]]の審理中は補償を行うことで「暫定使用」を引き続き可能とするもので、さらに委員会が使用を却下しても、[[防衛施設局長]]が[[審査請求]]を行う間は引き続き使用を可能にした。島袋は同法案に強く反対し、[[橋本龍太郎]][[内閣総理大臣]]と激しく論戦を交わした(法案は自民、[[新進党|新進]]、[[民主党 (1996-)|民主]]、[[太陽党|太陽]]、[[新党さきがけ|さきがけ]]の賛成で成立)。1998年の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]では無所属として立候補し、再選。
 
[[2004年]]に引退し、社大党副委員長である[[糸数慶子]]が後継として[[第20回参議院議員通常選挙|第20回参院選]]に立候補し、当選した。