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'''レクラン・フランセ'''([[仏語]]'''''L'Écran Français'''''、[[1943年]] - [[1952年]])は、かつて存在した[[フランス]]の週刊の映画雑誌。最初「フランス号はスクリーン」の意味。左翼的な論陣を張っていた雑誌であり、[[1945年ジャン・ルノワール]][[7月4日ジャック・ベッケル]]号であり最終号(348号)は[[1952年ジャン・グレミヨン]]といった、多くの[[3月12日映画人]](仏語[[:fr:cinéaste|cinéaste]])が協力していたことで知られる
 
== 概要・略歴 ==
協力者のなかには、[[ギョーム・アポリネール]]や[[ロラン・バルト]]、[[アンソニー・バージェス]]の名が見られる。
*[[1943年]]創刊。
*見られる最初の号(第一号)は[[1945年]][[7月4日]]号であり、最終号(第348号)は[[1952年]][[3月12日]]号。だが、第一号の表紙には「三年目(TROISIÈME ANNÉE)」とはっきりと印刷されている<ref>[http://calindex.eu/onepage.php?lapage=1&larevue=EF&num=1 L'Écran Français n° 1, page 1 (parution: 04/07/1945)] 第一号表紙、仏語</ref>。
*協力者のなかには、[[ギョーム・アポリネール]](当時すでに故人)や[[ロラン・バルト]]、[[アンソニー・バージェス]]の名が見られる。
*[[1948年]]、同誌に[[アレクサンドル・アストリュック]]が『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生(''Naissance d'une nouvelle avant-garde : la caméra-stylo'')』を発表。本論は、同誌に寄稿していた[[アンドレ・バザン]]の共感を呼び、多くのシネフィルに衝撃を与え、やがてのちの「[[作家主義]]」の思想的源泉となった。
*映画雑誌として、あまりに巨大な存在であったので、『レクラン』誌に対抗すべくさまざまな雑誌が創刊された。1928年に創刊したものの[[第二次世界大戦]]中に廃刊しており、戦後、[[ジャン=ジョルジュ・オリオール]]と[[ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ]]が復刊させた『[[ラ・ルヴュ・デュ・シネマ]]』誌([[1928年]] - /[[1946年]] - [[1950年]])、[[エリック・ロメール]]が主宰した「[[シネクラブ・デュ・カルチェ・ラタン]]」の機関誌として登場し市販された『[[ラ・ガゼット・デュ・シネマ]]』誌([[1950年]][[5月]] - [[11月]])、また、『レクラン』誌に執筆していた[[ジャン=シャルル・タケラ]]が[[アンリ・コルピ]]と創刊した『[[シネ・ディジェスト]]』など。オリオールの死後廃刊した『ルヴュ』の復刊を目指し、『レクラン』誌に執筆していたバザンとアストリュックがドニオル=ヴァルクローズらとともに奔走し『[[カイエ・デュ・シネマ]]』誌を[[1951年]][[4月]]に創刊、その翌1952年には、『レクラン』誌は終焉を迎えてしまう。
*[[1952年]][[3月12日]]号をもって廃刊。
 
==書籍==
*Olivier Barrot, ''L'Écran Français 1943-1953, Histoire d'un journal et d'une époque'', Paris, Les Éditeurs Français Réunis, 1979, 382 p.
 
== 註 ==
<references />
 
==外部リンク==
[http://www.calenge.com/parutions.php?larevue=EF Site de la revue] 1-348号までの表紙(表1と表4)が見られる。仏語
 
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