「慰安所」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Iceboat (会話 | 投稿記録)
Undo 大規模な編集をする前に議論をしてください。
Iosif (会話 | 投稿記録)
他の項目でもそうですが「一方の立場にたっている」「NPOV違反」と言い続けるだけでは、誰も何も議論しようがないのでは。
1行目:
'''慰安所'''(いあんじょ)とは、旧日本軍が中国、満州、太平洋各地の戦地で利用した買売春施設である。戦争の全期間を通じて日本軍の展開したほとんど全ての地域にあり、数多く存在した。多くは業者が運営したが設置・運営は軍が間接・直接に行ったと考えられている。1990年ころから元[[慰安婦]]の補償請求に関係して研究が進み、それまで[[公娼]]制度の延長としての買売春施設とされていたものに対し、その実態は強制売春・性奴隷であり女性への甚だしい人権侵害であった事が明らかにされてきた。(尹明淑による研究経過まとめによる)<ref name="A">日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 尹明淑 明石書店 2003(一橋大学社会学博士論文 を出版したもの)</ref>
 
1932年の第一次[[上海事変]]の際に海軍によって設置された海軍慰安所が確認される最初のものである。1937年の日中戦争開始以降、日本軍占領地域での犯罪の防止と治安維持のために慰安所の設置が始まり大きく数が増えた。1941年の[[太平洋戦争]]開始に伴い太平洋地域へ拡大したと考えられている。<ref>従軍慰安婦 吉見義明 岩波書店 1995</ref>
8行目:
*設置地域:戦争のため日本軍が行った場所全てにあったと考えられている。公的記録によって軍慰安所の設置が確認されている地域は、中国、満州、香港、マカオ、フィリピン、マレー、シンガポール、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、英領ボルネオ、ビルマ、タイ、東部ニューギニア、沖縄、小笠原諸島、千島諸島、樺太、北海道である。兵士や慰安婦の回想によれば、朝鮮の釜山、トラック島、コロール島、ニコバル諸島、グァム島、サイパン島にもあった。戦争末期には台湾、関東、九州、四国にも設置された。
 
*慰安婦:慰安婦には日本人を初め、朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、オランダ人が公文書で確認されている。兵士の回想ではマレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、華人もなっており、オーストラリア人看護婦が強要された(未遂)ことも明らかになっている。
 
*分類:慰安所は大きく分けて、「軍直営」「軍専用」「軍利用」と分けられる。「軍直営」は、軍が設置、運営、利用したもの。「軍専用」は、軍が設置したが、経営は民間業者に任せ、利用を軍人に限定したもの。「軍利用」は、民間の売春施設の中で、軍が軍人に利用を認めたものである。兵站基地の近くや大都市に設置されるものと、特定の部隊専属のものがあり、部隊専属の慰安所は部隊と共に移動し、極端な例では前線のトーチカで行為が行われている。「軍直営」、「軍専用」では軍の関わりは、募集、移送、運営面で見られ、「軍利用」でも軍の命令による設置や廃止が行われいる。また全てにおいて軍医による慰安婦の性病検査と管理が必ず行われている。
 
*設置理由:研究者は当時の公文書から以下を設置理由と考えている。
#占領地で日本軍人による強姦事件が多発したため:南京大虐殺で知られる日本軍の残虐行為を抑えるため、慰安所設置を請求する文書にこの理由が見られる。日本のみならず、世界のほぼ全ての軍隊が慰安所を設置する理由でもある。
#将兵への「慰安」の提供:日本軍には休暇制度がなく、長期間戦地におり、自由の制限で不平が溜まりやすかったため。
#性病の防止:民間の売春宿を利用すると性病が蔓延し、戦力が落ちる事を恐れたため。
#軍の機密保持・スパイ防止のため:兵士が民間の売春宿に通うと売春婦を通じて軍の機密が漏れることを恐れたため。
 
*こうした研究から慰安所とは南京大虐殺での大量の強姦や、中国山東省で発生した民間人の監禁と継続した強姦<ref name="B">慰安婦戦時性暴力の実態1:日本・台湾・朝鮮編、池田恵理子他 緑風出版 2000 </ref>と連続性のある、日本軍による制度化された性犯罪であると指摘されている<ref name="A" />。
 
==慰安所の設置経緯==
政府所管資料が一部しか公開されていないため、慰安所がどのように設置されそこで、政府や軍がどのように指揮命令を下したかの研究には大きな制約がある。<ref name="C">共同研究日本軍慰安婦 吉見義明・林博史他 大月書店 1995</ref>数千冊あるという軍人の業務日誌などの軍の行動を示す防衛庁資料、警察資料、朝鮮総督府・台湾総督府を管轄していた拓務省。内務省資料、労働省などの関係資料、BC級戦犯に関する外務省資料である。しかし今までの公開資料により政府・軍が募集・移送・管理で以下のような形で指揮命令を下したという研究成果がある。
 
*(軍の慰安所設置指揮が判明している事例<ref name="C" />)
30 ⟶ 32行目:
#海軍:1939年:海南島の海軍部隊のため慰安所設置を計画、海軍第4根拠地隊司令部が台湾総督府海軍武官に特要員(慰安婦のこと)50名の徴募を要請。台湾総督府の武官からは特要員50人を送るという伝歩がきた。(日本海軍風流譚、1981)
#海軍:1942年5月:海軍省事務局長岡敬純少将と兵備局長保科善四郎少将の連名で、東南アジア方面への特要員(慰安婦)の配置と運営の方針を決定。計215人をセレベス島などに送ると南西方面艦隊参謀長に通達している。(特要員と言う名の部隊、特集文藝春秋1号、1955)
 
*吉見義明は慰安所設置に関する指揮命令系統を以下のように想定している<ref name="B" />。
#中国など占領地では派遣軍が直接または業者を選定して慰安所設置を行い、派遣軍の指示に応じて後方の参謀が憲兵や下部部隊を指揮して現地で慰安婦を徴募、又は村の有力者に命じて慰安婦を集めさる、あるいは討伐の際連行、業者から譲り受けるなどで集める。
#朝鮮や台湾、日本から慰安婦を集める場合、派遣軍が選定した業者が送り込まれ、統治の憲兵、警察の支援を受けて徴募を行う。
#同じ場合でも派遣軍から内務省、朝鮮総督府、台湾総督府に徴募を依頼した場合もあった。依頼先機関がそこで業者を選定し、業者に依頼して集めさせている。
 
 
== 慰安婦の募集方法 ==
前項のように時期、地域により異なるが、日本国内、朝鮮の場合は業者にる募集、職業斡旋によっている。しかし現在の朝鮮人慰安婦の証言からは、強制連行を除けば証言の得られる全43人中、身売りは1件しかなく圧倒的多数が就業詐欺(貧困家庭や借金のある状態から、稼げる、仕事しながら勉強もできる、いい仕事がある、などの口利きで応じるといきなり遠隔地へ行かされ戻れなくなる)である。<ref name="A" />
 
内地に関しては、[[1938年]]の内務省発警第五号の「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」によると、内地で事実上醜業(売春)を営み、満21歳以上の伝染病なき者に募集を限定し、身分証明書を発給していたことが伺える。また、発給の際には本人自らが警察署に出頭すること、親または戸主の承認を得ること、婦女売買や略取誘拐などの無きよう調査すること、正規の許可などの無い募集周旋は認めない事などが取り決められていた。
 
台湾や朝鮮に関しては、国際条約は[[植民地]]に適用されないという解釈から、[[醜業条約]]で禁止されている「強制手段による勧誘」「未成年に対しての勧誘」などが行われていたと言われている。現在の朝鮮人慰安婦の証言からは、強制連行を除けば証言の得られる全43人中、身売りは1件しかなく圧倒的多数が就業詐欺(貧困家庭や借金のある状態から、稼げる、仕事しながら勉強もできる、いい仕事がある、などの口利きで応じるといきなり遠隔地へ行かされ戻れなくなる)である。<ref name="A" />。
 
== 運営 ==
43 ⟶ 53行目:
*慰安婦の自由:休日はなしか、月1回。月経時も休むことは許されていない。開業前や休日でも出歩ける範囲に制限があったり、監視がついたりした。また戦地などでは交通の便のため事実上逃亡は不可能であった。漢口などの慰安所が街区をなしている所では、街区出入り口に警備兵が常駐し、憲兵が巡回していた。
 
*料金:利用規程により多くは階級別、慰安婦の人種別に定められた。朝鮮人慰安婦の場合1円程度が多い。しかし現在朝鮮人慰安婦の証言でほとんどの場合、初めから給料の話はないか、貯金するとの名目で預けたまま最後には結局支払われいなど、ほとんどの場合まったく給料は支払われていない、と証言している。当時の日本の公娼の例では売春婦の取り分は4割から5割であるが、交通費や衣服代を法外に高く請求されることが多かった。1日20人程度は相手をしていたことを考えると、もし公娼と同等に給料が払われれば数千円の貯蓄は不思議ではない。
 
*状況:開業は朝9時ころから深夜まで、将校が泊まりがけになる場合もあった。少ないときで10人程度、多い場合は1日数10人が1人の慰安婦に詰めかけた。慰安婦のいる部屋の前に列をなし、既にバンドをゆるめて早くしろとせかす様子がよく兵士により回想されている。李英淑はこう回想している<ref>証言強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 韓国挺身隊問題対策協議会 明石書店 1993</ref>
52 ⟶ 62行目:
 
== 公娼との相違 ==
慰安所が公娼のいた銘酒屋や売春宿とどう違うかの研究は進んでいない。自分の意志で志願して慰安婦になった日本人の資料は少なく、日本人慰安婦の証言例は2人しかない。
その一人城田すず子(仮名)は家の借金のため芸者になり15歳でお客がついたが、ひどい性病をうつされ借金を返すため、2500円の前借り金で慰安婦になり台湾に渡った。<ref>TBSラジオニューススペシャル「石の叫び-ある従軍慰安婦の記録」1985年放送</ref>
 
87 ⟶ 97行目:
*[[慰安婦]]
*[[女性国際戦犯法廷]]
*[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|河野談話]]
*[[河野談話]]
*[[VAWW-NETジャパン]]
*[[特殊慰安施設協会]]
97 ⟶ 107行目:
 
[[zh:慰安所]]
 
==外部リンク==