「自強号」の版間の差分

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== 概略 ==
1978年4月25日、台湾鉄路管理局(国鉄に相当)は台湾の[[西部幹線]]を走る高級列車「観光号」の運行を、車輌の老朽化を原因として中止した。1970年に運行を開始した「莒光号」が代わりの役割を担い、[[イギリス]]製のEMU100電車(通称:英国婆仔)を導入した。
 
1978年8月15日にEMU100型電車を使用して、正式に「自強号」の運行が開始された。当時の料金は税込みで1kmあたり1.32[[ニュー台湾ドル|台湾ドル]]。基隆から高雄までの、いわゆる「縦貫線」で運転された。なお列車名は、[[1971年]]に台湾の[[中華民国]][[台湾国民政府|国民政府]]が[[国際連合]]を離脱した際の[[スローガン]]である、「莊敬自強 處變不驚」(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)に由来する。