「三・一運動」の版間の差分

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三一運動は、独立という目的こそ達成できなかったが、大きな影響と意義をもった運動であった。一部の者だけが決起するのではなく、多くの民衆の参加したことは民族解放運動の画期をなし、以下のような影響を与えたとされる。
 
たとえば日本及び朝鮮総督府の武断統治を改めさせ、憲兵警察制度を廃止し、集会や言論、出版に一定の自由を認めるなど、朝鮮総督府による統治体制が武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となった。朝鮮人による国外での独立運動興る契機となったことや、国内での合法的独立民族<!--文化-->運動を展開する道が開けることになったことはこの三一運動の大きな成果といえる。ただそれは日本当局による民族同化政策・民族文化減殺政策のより一層の推進を促す結果となったのも事実である。
 
一方で国際的な影響もあった。たとえば同年中国で起こった[[五四運動]]に大きな影響を与えている。五四運動当時、中国では[[対華21ヶ条要求]]の為に反日ムードが高まっており、それに反比例する形で朝鮮への連帯感が広がった。そのため朝鮮における独立運動への支持と援助の表明が次々為された。また日本の植民地であった[[台湾]]との連帯・交流も深まったと言われる。