「シーモア・ハーシュ」の版間の差分

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彼のデビューは1969年ベトナム戦争中のウィリアム・カリー中尉による[[ソンミの虐殺|ミライ村村民虐殺事件]]の暴露であった。当時ディスパッチ・ニュース・サービスという小さな個人通信社の記者であった彼は借金をしながら証言者を求め全米を廻って記事を書いた。
1970年度[[ピューリツァー賞]]受賞
 
その後[[ニューヨーク・タイムズ|ニューヨーク・タイムズ紙]]の特別記者(記事のノルマがない=I.F.ストーンのように)として採用され、数々の大記事をスクープする。
(以下のスクープには、NYタイムズ時代で無いものを含む)
*CIAの国内スパイ計画「ケイオス作戦」を暴露。(ただし、記事の誤りが多いとされ、ピューリツァー賞はなし。)
*多国籍企業報道(後に[[ロッキード事件]]に発展)
*[[プロジェクト・ジェニファー]](ソ連原子力潜水艦回収作戦)
*新聞王ロバート・マックスウェルの正体とイスラエルの核武装(直後にマックスウェルは怪死)(イスラエルの核は200発)(さりげなく台湾の核武装という重要記事が入っている)
*イラクの米軍[[アブ・サヤグレイブ刑務所]]における虐待
*[[ウォーターゲート事件]]のスクープ(ウッドスタイン・コンビに及ばず)
*[[大韓航空機撃墜事件|大韓航空機事件]]の内幕
*ラベル空軍大将による北ベトナム無断爆撃事件
 
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[[Category:アメリカ合衆国のジャーナリスト|はしゆ しもあ]]
 
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