「JRA顕彰馬」の版間の差分

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[[2005年]]以降は、選定対象を競走馬登録抹消から20年以内の馬となった。
 
[[2000年]]までは顕彰馬選考委員会の審議(委員の4分の3の賛成)により決定されていた。この当時にも、[[1990年]]に過去の競走馬に対する再度の選考を実施している。これは制度制定時にトウショウボーイを選出したにも関わらず、その宿敵であったテンポイントが選出されなかった事に対して関西圏を中心とする競馬ファンやマスコミ・関係者から批判がずっと繰り返されていた事が大きいとされるが、他にも産駒の活躍、他の選出馬との比較などで最初期の選考の時点と状況が大きく異なる馬が発生していた為である。この方式で最後に選出されたのは1999年のタイキシャトルである。
 
=== 選考方法の問題点 ===
複数の有力馬に票が割れることにより選出基準に達しない問題は依然として残されている。現方式になった[[2001年]]以降[[2007年]]まで、[[エルコンドルパサー]]は、[[テイエムオペラオー]]が選出される時期にさしかかった[[2003年]]と[[2004年]]を除き、7回中5回投票数1位になっているが、同時期に活躍した[[スペシャルウィーク]]と票を分け合う形で、1度も総投票者の4分の3以上の得票に達せず顕彰馬に選出されていない(選定結果参照)。[[エルコンドルパサー]]を顕彰馬として選出すべきか否かが投票者の間でも真っ二つに分かれていると受け取ることもできる。
また、[[2005年]]61票、[[2006年]]83票、[[2007年]]91票と、毎年「該当馬なし」がかなり多いことも注目すべきことである。ただ、選考対象外である[[ディープインパクト]]への投票などの無効票の扱いが「顕彰馬選定結果」には記載されておらず、無効票が「該当馬なし」として扱われている可能性がある※1。いずれにしても、全投票に占める「該当馬なし」の割合がかなり高いこと、有力候補が複数存在し、かつ競走馬登録抹消20年いないという制約はあるものの顕彰馬が選出されず毎年のように候補の対象となる馬が追加されている現状において、現在の形式では顕彰馬に選出されることがほとんど無理ではないかという意見もある。
 
:※1 2005年は、「該当馬なし」の他に、無効票も1票あった。「該当馬なし(無効票含む)」の割合は、2005年は約17%(62/364)、2006年は約22.4%(83/370)、2007年は約23.1%(91/394)である。仮に、「該当馬なし(無効票含む)」を除外した数を投票総数((投票者数×2-「該当馬なし」の票数)/2、「該当馬なし(無効票含む)」を除外した満票の理論値を意味する)とすると、各年度の選出基準は「該当馬なし」以外の有効投票の約90.7%(2005年、137/151)、約96.9%(2006年、139/143.5)、約97.7%(2007年、148/151.5)以上である。これは、実際の投票そのものではなく、理論上の計算ではあるが、「該当馬なし(無効票含む)」が多数存在することがいかに顕彰馬の選出を難しくするかを示唆している。余談ではあるが、エルコンドルパサーの投票数は、この3年間のいずれの年度においても、「該当馬なし(無効票含む)」を除外した満票の理論値の75%を上回っている(2005年:119/151=約78.8%、2006年:108/143.5=約75.3%、2007年:135/151.5=約89.1%)。
[[2000年]]までは顕彰馬選考委員会の審議(委員の4分の3の賛成)により決定されていた。この当時にも、[[1990年]]に過去の競走馬に対する再度の選考を実施している。これは制度制定時にトウショウボーイを選出したにも関わらず、その宿敵であったテンポイントが選出されなかった事に対して関西圏を中心とする競馬ファンやマスコミ・関係者から批判がずっと繰り返されていた事が大きいとされるが、他にも産駒の活躍、他の選出馬との比較などで最初期の選考の時点と状況が大きく異なる馬が発生していた為である。この方式で最後に選出されたのは1999年のタイキシャトルである。
 
== 過去の顕彰馬 ==