「タケホープ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
母父母母を修正
→‎略歴: 補筆
23行目:
単勝支持率66.6%という圧倒的支持を得たハイセイコーに対し、タケホープは9番人気。最後の直線で先頭に立ったハイセイコーにタケホープが襲い掛かり、抜き去ったとき、東京競馬場には悲鳴とどよめきが轟いたという。結局ハイセイコーは1秒弱離れた3着に敗れ、タケホープが第40代のダービー馬に輝いた。
 
その後も、ハイセイコーとの対決は続く。秋初戦の[[京都新聞杯]]ではハイセイコー2着に対し、タケホープは6番人気と舐められた上8着と大敗。そして、[[クラシック (競馬)|クラシック]][[三冠 (競馬)|三冠]]の最終戦の菊花賞では、嶋田が落馬負傷するというアクシデントで急遽[[武邦彦]]に乗り変わり、またもや6番人気と舐められたタケホープが、ハイセイコーをハナ差で下し、[[二冠馬]]となる(ちなみに[[2006年]]現在日本ダービーと菊花賞の二冠馬はタケホープの他には[[クリフジ]]のみ…どちらも皐月賞不参戦馬である)。そして年末には、この歳の年度代表馬、及び最優秀4歳牡馬に選出された。
 
翌[[1974年]]、[[アメリカジョッキークラブカップ]]をタケホープが([[小島太]]騎乗)、[[中山記念]]をハイセイコーが制し、満を持して臨んだ春の天皇賞では、タケホープがやはり長距離適性の優を生かし、ハイセイコーを下す。しかしこれが、結果的にタケホープがハイセイコーに先着した最後のレースとなった。[[宝塚記念]]を制したハイセイコーと、じっくり休養したタケホープは秋に再戦することになるのだが、[[有馬記念]]とその前哨戦のオープンで2度対決する。結果、ハイセイコーが2戦とも2着だったのに対し、タケホープはオープンが5着、有馬記念は3着と、いずれも後塵を拝した。
 
タケホープとハイセイコーの対決は、タケホープが4勝5敗で1差負け越す結果となった。もっとも、タケホープの4勝の全てが自ら勝利したと同時のもの(しかもそのうち3勝が[[八大競走]])であるのに対し、ハイセイコーの5勝は弥生賞・中山記念のふたつが1着でゴールした以外は自らの勝利を伴わないものばかりであり、額面通りに取るべき数字ではないことは明らかである。また、ハイセイコーはタケホープに対して2400m以上のレースはラストランとなった有馬記念以外全敗したことから、タケホープは[[競走馬#ステイヤー|ステイヤー]]だったとも言える。