「伊勢亀山藩」の版間の差分

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== 概要 ==
伊勢亀山は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[織田信長]]、[[豊臣秀吉]]に仕えた[[関盛信]]が領していた。盛信の子・[[関一政]]は[[美濃国]][[多良藩|多良]]に移封されたが、[[関ヶ原の戦い]]における功績で、旧領に復帰したのである。しかし[[慶長]]16年([[1611年]])、[[伯耆国]][[黒坂藩|黒坂]]へ移封。代わって[[三河]][[作手藩|作手]]より[[松平忠明]]が入るが、やがて[[大坂城]]主として移封された。
 
その後、しばらくは[[天領]]となっていたが、[[元和 (日本)|元和]]6年([[1620年]])、三河[[挙母藩|挙母]]より[[三宅康信]]が1万石で入る。だが、子の康盛のときに旧領へ戻された。
 
代わって三河[[西尾藩|西尾]]より[[本多俊次]]が5万石で入るが、[[近江国]][[膳所藩|膳所]]へ移封となる。
 
それと入れ替わりで[[石川憲之]]が5万石で入るが、[[山城国]][[淀藩|淀]]へ移封となる。