26,288
回編集
m (lk) |
|||
'''石那坂の戦い'''(
== 概要 ==
[[文治]]5年(1189年)7月、鎌倉の[[源頼朝]]は、謀反人[[源義経]]をかくまったとの理由で[[藤原泰衡]]を討つため、[[陸奥国|奥州]][[平泉]]に向けて出陣した。頼朝軍は3手にわかれ、[[千葉常胤]]らが[[常陸国]]から浜街道(福島県[[浜通り]])沿いを、[[比企能員]]らが[[越後国]]から[[出羽国]]の日本海沿いを、そして頼朝本隊は[[宇都宮市|宇都宮]]から[[白河関]]をとおる[[奥州街道]]を進撃する。『[[吾妻鏡]]』によれば7月29日に頼朝本隊は白河関を越え、8月7日に国見宿([[福島県]][[
== 古戦場の場所 ==
|
回編集