「Li-2 (航空機)」の版間の差分

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== 概略 ==
ソ連では、[[K・A・カリーニン]]記念試作設計局|カリーニン設計局]]や[[ツポレフ]]設計局による大型旅客機の開発と[[アエロフロート]]での運行がなされていたが、[[1930年代]]中ごろには[[K-5_(航空機)|K-5]]などの機体では収容力不足となっていた。そこで、新しい旅客機の開発が各設計者に求められた。また、海外からの機体の輸入やその[[ライセンス生産]]も検討された。対象は、アメリカ合衆国の[[DC-2]]やDC-3であった。
 
ダグラス社に派遣された経験を持つ技術者[[ボリース・リスノーフ|ボリース・パーヴロヴィチ・リスノーフ]]が、DC-3を基本にしつつもソ連向けに小改良を加え、寒冷気候に強いソ連製[[エンジン]]を搭載した輸送機を設計し、「PS-84」と呼称した。この機体は[[1942年]]以降Li-2の名称で軍用輸送機として量産された。また爆弾を1 tまで搭載する軽爆撃機としての運用も行われた。