「フランス共産党」の版間の差分

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フランス共産党は、2005年の[[EU]]憲法批准の是非を問う国民投票に際して、「反[[新自由主義]]」の立場から批准に反対し、反対派の勝利に一定の貢献を果たした。このEU憲法批准に反対した反新自由主義左派グループ(フランス共産党、革命的共産主義者同盟-LCR、[[緑の党 (フランス)|緑の党]]、労働者の闘争-LO、など)は、「5月29日全国コレクティブ」(「5月29日」はEU憲法批准反対派が国民投票で勝利した日)を形成して[[2007年フランス大統領選挙]]を睨んで左派統一候補を擁立する議論を行い、「全国コレクティブ」は投票で共産党の書記長[[マリー・ジョルジュ・ビュフェ]]を選出した。しかし、LCRは「共産党の組織力を背景にした多数派工作による選出」と反発した。ビュフェは「共産党色」を薄めるために、書記長職の辞任を示唆したが結局「全国コレクティブ」は決裂し、「反新自由主義」各党がそれぞれ候補者を擁立する結果となった。LCRが共産党のユ指導部時代の民営化政策の撤回を迫ったが、共産党がそれを拒否したことも決裂の一因となった。また、ビュフェを「反新自由主義の代表としての候補」か、あるいは「伝統的共産党の候補」として擁立するかで共産党内部でも意見が二分したが、最終的にはビュフェは「共産党と無党派市民の共同候補」という体裁で、同党初の女性大統領候補として立候補することになった。この共産党の動きを「セクト主義」とした同党のエヌ県モン・ドリニィ支部では、30数人で構成する共産党の支部が解散することを決定して、その半数がLCRに加盟してブザンスノーの大統領選挙を支援することを表明した。
 
ビュフェは大統領選第一次投票で、707,327票の得票(得票率1.94%)の12人の候補者中7位に留まり、前回の3.37%からさらに後退した。「[[トロツキスト]]候補」であるLCRの[[オリヴィエ・ブザンスノー]]候補にも大きく水を開けられ(ブザンスノーは4.11%を獲得)、この間の共産党の退潮傾向にさらに拍車をかける結果となった。フランス共産党は、[[フランス社会党]]の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]候補と右派の[[ニコラ・サルコジ]]候補の対決となった決選投票において、ロワイヤルへの投票を呼びかけている
 
==関連項目==