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兄弟対決
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6歳で碁を覚え、14歳で集中訓練隊に入る。1982年に五段に認定される。1983年、[[全国囲棋個人戦]]で4位。1984年七段。
 
1984年から始まった日中スーパー囲碁で、第1回に中国チームの2番手として出場し、5人抜きを果たして中国チームの勝利に大きく貢献、また[[日本]]側に衝撃を与えた。この功績により八段昇段を認められる。1987年九段。1990年に米国に移住。1992年に日本に移住していた芮廼偉九段と結婚。1993年から3年間は日本在住。その後米国で棋士活動を続け、1995年から開始された北米名人戦では、第1回から2002年まで、[[車敏洙]]、[[ゼイ廼偉]]、[[マイケル・レドモンド|M.レドモンド]]などを破って8連覇。
 
1999年に芮廼偉とともに韓国棋院に客員棋士として迎えられ、韓国の[[棋戦 (囲碁)|棋戦]]に参加するようになる。2003年のLG杯世界棋王戦では韓国代表として、1回戦でアメリカ代表として出場した兄鳴久と対戦して勝利するが、2回戦では[[李昌鎬]]に敗れた。