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'''松平 堅房'''('''まつだいら かたふさ''')は、[[江戸時代]]の[[大名]]。[[越後国|越後]][[糸魚川藩]]の第3代藩主。[[福井藩]][[越前松平家]]分家5代。
 
{{武士/開始|松平堅房}}
{{武士/時代|[[江戸時代]]中期}}
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{{武士/父母|父:越前[[松平直好]]}}
{{武士/妻|正室:[[分部光命]]の娘}}
{{武士/子|諏訪頼古(次男)、[[井上直孝]](三男)、<br />佐久間信崇(四男)、<br>越前[[松平直紹]](七男)、<br />娘(半井成英室)、娘(大給松平近周室)、<br>娘(滝川元郷室)など8男9女}}
{{武士/終了}}
 
'''松平 堅房'''('''まつだいら  かたふさ''')は、[[江戸時代]]の[[大名]]。[[越後国|越後]][[糸魚川藩]]の第3代藩主。[[福井藩]][[越前松平家]]分家5代。
 
== 略歴 ==
享保19年(1734年)9月26日、第2代藩主・直好の四男として生まれる。名は'''賢房'''とも言われる。[[元文]]4年([[1739年]])、父の死去によりわずか6歳で家督を継いだ。[[寛延]]3年([[1750年]])2月に将軍・[[徳川家重]]と謁見し、その後は馬場先御門番や日光祭礼奉行、大坂加番、竹橋御門番、田安御門番、一橋御門番などを歴任した。安永2年(1773年)2月16日に死去し、後を七男・直紹が継いだ。
 
 
{{先代次代|[[糸魚川藩|越前松平氏(糸魚川藩3代)藩主]]|1739 - 1773|[[松平直好]]|[[松平直紹]]}}
 
[[Category:江戸の大名|まつたいら かたふさ]]
[[Category:親藩|まつたいら かたふさ]]
[[Category:松平氏|かたふさ]]
[[Category:1734年生|まつたいら かたふさ]]
[[Category:1773年没|まつたいら かたふさ]]