「パナマの歴史」の版間の差分

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[[1855年]]、パナマはコロンビアから自治権を獲得した。[[1863年]]、コロンビアで新憲法が制定され、パナマは実質的な独立を達成したが、[[1866年]]に再びコロンビアによる直接支配が復活した。パナマではコロンビアに対する反乱が頻発するがいずれも失敗に終わった。
 
[[スエズ運河]]建設に携わった[[フランス]]人技師[[フェルディナン・レセップス|レセップス]]は、コロンビアから運河建設権を買い取り、[[1881年]]から[[1989年]]まで[[パナマ運河]]建設を進めたが、技術的な問題と伝染病の蔓延、さらに資金調達に失敗したこと等により建設は中止された。
 
一方米国では、[[1890年]]に海軍大学の教官であった[[アルフレッド・セイヤー・マハン|マハン]]が『海上覇権論』においてカリブ海と[[地中海]]を比較し、米国の国防的観点から、地中海にスエズ運河があるようにカリブ海にも運河が必要であるとの議論を展開した。[[1898年]]の[[米西戦争]]を契機に米国では、太平洋と大西洋をつなぐ運河が[[中央アメリカ|中米]]に必要であるとの考えが浸透した。また、[[1901年]]にマハンの教えを受けた[[セオドア・ルーズベルト]]が[[アメリカ合衆国大統領|米国大統領]]に就任し、米国は太平洋と大西洋をつなぐ運河を中米に建設することになった。