「ヴァイオリン協奏曲 (シューマン)」の版間の差分

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[[ロベルト・シューマン]]の「'''ヴァイオリン協奏曲[[ニ短調]]'''」(遺作)は、[[ロマン派音楽|ロマン派]]の[[ヴァイオリン協奏曲]]の一つ。
 
==概要==
[[1853年]]9月下旬から10月初旬とわずか2週間程度で作曲された。[[ヨーゼフ・ヨアヒム]]の要請を受け、またシューマン自身もヨアヒムが弾く[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ヴァイオリン協奏曲]]を聞い感銘を受け、このヴァイオリン協奏曲ニ短調を書いた。しかし、なぜかヨアヒムはこのヴァイオリン協奏曲を取り上げることなく自筆譜を封印し、[[クララ・シューマン]]は「決して演奏してはならない」と家族に言って聞かせていたという。それは、シューマンが[[ライン川]]に身を投じる直前に書き上げていたピアノ曲「天使の主題による変奏曲」の主題と協奏曲の第2楽章が酷似していたためだという。シューマン自身はこの曲を、「天使から教えてもらった曲だ」と語っていた。
 
結局シューマンのヴァイオリン協奏曲は、[[1937年]]に[[ベルリン]]の図書館でヨアヒムの蔵書から発見されるまで日の目を見ることはなかった。世界初演は[[ナチス・ドイツ]][[宣伝省]]主導で、同年[[11月26日]]に[[ゲオルク・クーレンカンプ]]の独奏、[[カール・ベーム]]指揮[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]の共演で行われ同時に全世界に向けて短波放送で流された。[[レコード|レコード録音]]は[[テレフンケン]]社が担当する事になったが、然し、現在と異なり当時は専属契約関係が厳格であり、それ故に[[エレクトローラ]][[HMV]]系のベームを使う事が出来ず、その為に自社看板指揮者の[[ハンス・シュミット=イッセルシュテット]]を起用して同年[[12月20日]]に[[ベルリン・ジングアカデミー]]で録音された。現在CDに復刻され入手可能である。
 
日本初演は[[1938年]][[12月14日]]、[[NHK交響楽団|新交響楽団]]第198回定期公演にて。ウィリー・フライのヴァイオリン、[[ヨーゼフ・ローゼンシュトック]]の指揮による。
 
==楽曲構成==